児島善三郎 松を描く~Zenzaburo Kojima Pine Trees~
イベント
- 開催日
- 2025年04月26日(土) から 2025年06月08日(日)
- 会場
- 丘の上 APT /兒嶋画廊
東京都国分寺市泉町1-5-16 - 休み
- 月曜日
昭和11年(1936年)に代々木から国分寺市に転居してきた洋画家・児島善三郎。
『美術 3月号』(昭和10年刊行)「独立展予報」には、「昨年から松の研究に終始してゐます。松が意のままに描けたら日本の風景は初めて油画として生きて来るかと思ひます。日本に於て松のない名勝と云ふものは考へられない位ですから」という文書を寄せます。
今回は、その児島善三郎がこだわった松の絵を展示します。
新天地・国分寺は、その名も北多摩郡国分寺多喜窪字松風園2386番地(現在の兒嶋画廊の所在地)という、野川の河岸段丘の上に位置する松林の中の別荘地でした。500坪もあった敷地の中には松の大木が7本あり、アトリエから見えるU字谷の向こうにも、家の近所にも松林ばかりで、まさに住むにも描くにもうってつけの環境でした。そして松の木の間からはるか下に広がる野川両岸の田圃は数多くの名作を生み出す絶好のモチーフになりました。
冬枯れの田圃を見下ろす斜面にどっかりと太い幹を立て、桃山時代の障壁画のような大きな枝の塊は野球のミットを広げた様に描かれ、中空に垂れ下がる枝がミロの抽象画のように踊る「東風(1939年)」
秋の田圃を埋め尽くす金色の穂波の上にガスタンクのように誇張して描いた松と、右上から奴さんのような形をした枝が侵入してくる「秋日(1941年)」
一面の雪景色の中に雪帽子を乗せた松が茶褐色の幹を細く見せている「雪景(1946年)」など、
季節毎に主役になったり引き立て役になったりしながら松は最も重要なモチーフとして扱われています。生涯で最も充実していた国分寺時代の相方ーー松の作品をゆっくりと鑑賞できます。