【春散歩】 東京・国分寺の歴史や史跡に触れながら桜の名所を巡る春のお花見散策

まちあるき

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春の日差しに誘われて、桜舞い散る散歩道を行く

公園や歴史にまつわる数々の名勝を有する東京・国分寺。春には、桜を目的にその地を訪れたくなる「花見の名所」も数多く存在しています。特に奈良時代の史跡「武蔵国分寺跡(むさしこくぶんじあと)」は、3月末から4月初旬まで桜のライトアップ期間があり、昼と夜で全く異なる姿を見せてくれます。

寒い冬を耐え抜き、春の訪れと共に開花する桜。ほころび始めたつぼみに目を細め、徐々に開く花に心を躍らせ、満開の桜を愛でる。舞い散る花びらの美しさに、日本人に生まれて良かったと心から思う瞬間は、なにものにもかえがたい春の楽しみです。そんな心躍る桜の名所7選をお届けします。

古の言い伝えに誘われ、水面に映る満開の桜に思いを馳せる「姿見の池」

東京の名湧水57選に選ばれている「姿見の池(すがたみのいけ)」は、美しい桜を見ることができる場所。一度は埋め立てられましたが、1993年(平成5年)に都の緑地保全地域に指定され、その後、池周辺環境の整備が進められたことで、かつての武蔵野の里山風景が見られ、カワセミが訪れる場所となりました。数々の野鳥が観測できる場所としても人気を集め、一年を通して多くの人が訪れる観光スポットです。

古く鎌倉時代、池がある恋ヶ窪(こいがくぼ)は宿場町として栄え、そこで生業を立てていた遊女たちがその水面に自らの姿を映したことから、この名がついたとされる「姿見の池」。恋ヶ窪という地名の由来ともいわれ、武将・畠山重忠との悲恋で知られる遊女(傾城)・夙妻太夫(あさづまだゆう)が身を投げたとされる言い伝えが残ります。

また、畠山重忠が夙妻太夫のために植えた一葉松は傾城松の一本といわれています。

主人公が道ならぬ恋に身をやつしていく大岡昇平の著作『武蔵野夫人』の舞台としても登場する

池を覆うように枝を広げるソメイヨシノは、満開の頃、散り始めと共に、その美しい姿を水面に映し、散策に訪れた人々を楽しませています。地名の由来を彷彿とさせるその姿に酔いしれてみては。

スポット等詳細情報

姿見の池

旧国鉄・鉄道学園時の面影を今に伝える「東京都立武蔵国分寺公園」の桜

桜の季節にぜひ立ち寄りたいのが「東京都立武蔵国分寺公園」です。国分寺市の旧国鉄・鉄道学園、逓信住宅用地として利用されていた約114,600㎡の広大な敷地に「円形広場」や「こもれび広場」、野鳥観察が楽しめる「野鳥の森」が整備されています。

円形広場を囲むように「ぎんなん通り」と名付けられた園路があり、園内にはさまざまな植物が植えられています。この園路沿いには旧国鉄・鉄道学園時代から残るソメイヨシノなどの桜が並び、毎年来園者を楽しませています。そばには休憩所やベンチがあり、ゆっくりと花見を楽しむには最適なスポットです。

「ぎんなん通り」は1周500mほど。ジョギングコースやウォーキングコースとしても人気

そのほかにも、武蔵の池の近くには延長33m・幅3mの「フジの回廊」や「ノウゼンカズラの回廊」、桜と同じく旧国鉄・鉄道学園時代から年輪を刻む欅や銀杏が、四季折々さまざまな表情を見せてくれます。

公園は多喜窪通り(たきくぼとおり)をはさんで、「円形広場」がある「泉地区」と「こもれび広場」「野鳥の森」が広がる「西元地区」に分かれており、この2つのエリアを結ぶ「ふれあい橋」からは「東京スカイツリー」が見えることも。天気の良い日には、花見ついでに眺望も楽しめそうです。

スポット等詳細情報

東京都立武蔵国分寺公園

 

悠久の時を感じる「武蔵国分寺跡」でライトアップされた夜桜に酔いしれる

武蔵国分寺公園の程近く、史跡「武蔵国分寺跡」でも色とりどりの桜を楽しむことができます。シダレザクラをはじめ、ソメイヨシノやヤマザクラなど、さまざまな種類の桜が見事な花を咲かせる史跡地内は、お花見スポットとしても人気です。

本尊が安置されていた金堂跡周辺から東方200mほどの場所にある「七重塔跡(しちじゅうのとうあと)。連なる桜の木々が美しい

「国分寺市」という名の由来にもなっている武蔵国分寺は、奈良時代に建立され、僧寺・尼寺合わせて武蔵国分寺ともいいます。

江戸時代には、武蔵国を代表する名勝地としても名を馳せました。1922年(大正11年)にはその歴史的価値の高さや規模の大きさから国指定史跡に。主要建物群はすでに焼失し、現在は遺構が残されるのみですが、史跡の一部は市立歴史公園として整備され、文化財への理解を深める一助となっています。

史跡地内では26本ほどの桜が花を咲かせる

毎年桜の季節には、こくぶんじ観光まちづくり協会によるライトアップイベントが開催され、心ゆくまで夜桜の美しさを楽しむことができます。期間中はキッチンカーの出店やさまざまなイベントの開催も予定しています。

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武蔵国分寺跡 

国分寺崖線の勾配を活かした遊び場も!近隣住民に愛されるお花見スポット

国分寺崖線(こくぶんじがいせん)の南側に位置する「黒鐘公園(くろがねこうえん)」も地域に愛されるお花見スポット。崖線の高低差を活かしたロングローラー滑り台やクライミングウォール、ネットクライミングなども楽しめることから、子ども連れにも大人気の公園です。

晴れた日には子どもたちの元気な声が響き渡る「黒鐘公園」

崖線による自然の恩恵を肌で感じることができるのも魅力のひとつ。花見とともに武蔵野の自然に触れることができます。

黒鐘公園でのお花見後にぜひ立ち寄りたいのが、「武蔵国分尼寺跡(むさしこくぶんにじあと」。かつては、都と国府を結んだとされる「東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)」をはさんで、武蔵国分寺僧寺と東西で対をなすように建てられていました。武蔵国分寺跡と共に国指定史跡となり、2003年(平成15年)には国分寺市初の市立歴史公園として開園。北側には伝鎌倉街道の切通しがあり、その西側には伝祥應寺跡、東側には塚跡と、数々の遺跡が残る場所でもあります。

現在はJR武蔵野線が横切るこの場所、史跡に思いを馳せながら、車窓から見える黒鐘公園の桜を眺めてみるのも一興です。

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黒鐘公園

川面を埋め尽くす花びらが美しい「不動橋」の桜

多摩川の支流・野川の本流と、真姿の池湧水群などからの湧水を集めて流れる元町用水との合流部に位置するのが「不動橋(ふどうばし)」です。古くから近隣住民に親しまれてきた桜の大木があり、大ぶりの枝に満開の花を咲かせる姿に、カメラを構える人の姿も見られる人気のスポットです。

桜が満開を迎える時期にはライトアップが実施され、夜桜も楽しめる

「不動橋」近くには「石橋供養塔」や「庚申塔(こうしんとう)、「不動明王碑(ふどうみょうおうび)」があることから、1972年(昭和47年)に「不動橋」と名付けられたのだといいます。

夜桜も風情があり、桜の季節になると思わず足を止めたくなる美しさ。散り始めには野川の水面が桜のピンク色に染まります。ここまで巡ってきた武蔵国分寺跡からは、国分寺崖線の湧水を集めて流れる清流沿いの小径「お鷹の道(おたかのみち)」遊歩道を利用して15分ほど。天気の良い日の散策にも最適です。

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不動橋と石造物

本多新田開発で国分寺村から引寺された「祥應寺」に咲き誇る桜を愛でる

春になると山門や参道に咲き誇るソメイヨシノが美しい黄檗宗の禅寺「黒金山 祥應寺(くろがねさん しょうおうじ)」も、少し足を延ばして訪れたい場所。墓所入り口に立つ聖観音菩薩像のそばには見事なシダレザクラが花を咲かせるなど、桜の名所としても親しまれています。

鎌倉時代に開創された当初、現在の黒鐘公園あたりに位置したとされ、山号「黒金山」は、かの地にちなんでつけられたといわれています。江戸時代に現在の場所に再興されてから300余年、旧跡から移植された推定樹齢600年ともいわれる万葉植物「コノテガシワ」が現存することでも知られ、日本最古・最大とされる同寺の「コノテガシワ」は、市の重要天然記念物にも指定されています。

山門を覆うように咲き乱れるソメイヨシノの大きな古木がお出迎え

ちょうど桜が見頃を迎える4月の第一日曜日は、地元商店街や町会によって開催される「ぶんじ花まつり」で賑わいます。花まつりとは、お釈迦さまの生誕を祝い、誕生仏に甘茶をかける伝統行事。境内をたくさんの花が彩り、桜と合わせて春を存分に感じられる催しです。

そのほかにも週末にはヨガ、坐禅、写経などの体験プログラムも(事前申し込み制)。お花見ついでに身も心も癒されてみては。

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祥應寺のコノテガシワ

【足を延ばして】桜と新幹線の共演が楽しい「新幹線資料館」

JR中央線国立駅北口すぐ、「国分寺市ひかりプラザ」には、実際の新幹線車両を展示した「新幹線資料館」があり、春になると車両のそばに咲く満開の桜との組み合わせが多くの人の目を楽しませています。

この新幹線は鉄道技術研究所(現:公益財団法人鉄道総合技術研究所)から国分寺市に無償譲渡された技術開発のための車両「951形試験電車」。山陽新幹線の岡山への延伸に向けた開発に伴い、1972年(昭和47年)に当時世界最高記録の時速286kmを観測した歴史的意義の深い車両です。資料館となった現在の車内には、新幹線発展の歴史をパネルや模型などで知ることができる展示や、実際に座ることができる開発当時のままの運転席が残されています。

資料館の開館時間は9〜17時。無料で入館できるので、花見と合わせて楽しみたい

「新幹線資料館」のある光町(ひかりちょう)は、かつて「平兵衛新田(へいべえしんでん)」と呼ばれていた新田村でした。昭和41年の町名・地番整理の際に、東海道新幹線の開発研究を行っていた鉄道技術研究所があったことから、新幹線「ひかり号」にちなんで「光町」と命名されたというユニークなエピソードがあります。新幹線の発展の歴史に浸りながら見る桜は、通常のお花見とはまた違った趣が感じられそうです。

スポット等詳細情報

新幹線資料館

 

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